子どもの頃、ぼくが育った千葉の北部では今でこそ開発が進み人も増え、商業施設があちこちに乱立するコンクリートに囲まれた場所になっているけど、昭和40年台50年台は家の周りは田んぼだらけ、カエルの合唱が子守唄というような田舎であった。うちは商売をしていたので、近所から働きにくる職人のおじさん達は方言を話し、田んぼに張った網でスズメを獲っては焼いて酒の肴にしていた記憶がある(←違法だけど!)。家の周りにも蛇やイタチなどの野生生物が豊富だったし、家ではニワトリやウサギなんかも飼っていた。それが大人になるにつれ、田んぼや森は住宅街へと変わり、湿地帯は団地とショッピングモールへと変わった。自分もいつしか自然から離れ、日々の営みはコンクリートの中で完結する生活が当たり前となっていった。
そんな物語はすでに高畑勲監督の「平成狸合戦ぽんぽこ」でも描かれている通り、東京のベッドタウンが持つ宿命とでもいうべきか、そんな経験をその地域に住むぼくらの世代は少なからずとも経験しているんじゃないだろうか?
そして子どもが産まれて一息ついたあたりで、ふと思い出すあの風景。
虫を捕まえる子どもと自分を重ね合わせた時、振り返るとそこには森も田んぼも方言を話すおじさんも消えていた。
それからしばらくして当時の妻と別れ、それを機に鉄砲の許可と狩猟免許を取って山へ通うようになった。
房総の山中で初めて野生の鹿と出会った時、痺れるような感動を覚え、山と狩猟にのめり込んでいった。
それからさらに数年が経ち、山(自然)への想いは途方もなく大きくなりつつあった。
ある日、地方にある射撃場で練習をしていた。
ツレが暇なので近所の散策をしていると、ある空き家を見つけた。
ぼくらは暇を見つけては田舎に通い、程よい空き家がないかと探し回ることが半ば趣味のようになっていたのだが、この日もツレが一人で空き家ハントに勤しんでいたらしい。
その家の敷地に勝手に入り込んで家の中をのぞいていると、隣に住むおじさんが声をかけてきた。
「何してんだ?」
「良い家だなと思って。。」
「その家は売りに出してるぞ」
「ほんと?」
とまあ、こんなやり取りがあり、彼女はぼくに報告にやってきた。
練習を終えて早速その空き家に行ってみると中々綺麗だし、家の中を覗くと薪ストーブもある!
ツレが家の横の植物を指差し、「あれ、タラの木じゃない?」と言う。
「な、なに?」
ぼくらは山菜初心者で、空き家ハントの傍らいろんなところでタラの木を探していたのだが、今まで一向に見つけることが出来なかった。
しかしそのタラの木が目の前にある!!
早速、畑仕事をしている隣のおじさんに持ち主の連絡先を教わった。
(つづく)
Comments